今週のみことば(1)詩篇119:57
詩篇119篇57節
「主は私の受ける分です。私は、あなたのことばを守ると申しました。」
私たちは毎週日曜日に礼拝で聖書の言葉(みことば)を学んでいます。今週は旧約聖書の詩篇119篇57節-64節をもとに、聖書の話を聞きました。
◯主=ことばなる神
「主」とは私たちの信じる神様(イエス様)を表しています。私たちは、人がこの神様によって造られた存在であると信じています。
旧約聖書の冒頭には次のような記述があります。「そして神は『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。(略)』と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記1章26-27節)
ここで面白いのは、神様は人間を造るときに、『人を造ろう』と、ことばを仰せられていることです。この神のことばによって、私たちが造られました。そのため、神様は、「ことばなる神」とも言われています(参照:ヨハネ1章1節)。
◯神≒親
この社会に生きる人間にとって、造ってくださった神様を例えるとするなら、親という存在が一番近いものかもしれません。
親という存在があって、初めて子どもが生まれてきます。
親なしに生まれてきた子どもは、おそらくいません(知る限りではありますが…)。
私たちは親からいろんなものを受け継いで生まれてきます。
顔かたちや仕草、ある時は性格まで似ているなんて言われることもあります。
親の持っているものを、自然と受け継ぐのが子供の存在ですよね。
神様が私たち人間を造った親だとすれば、私たちも神様に似ている部分があるということです。
似ている部分の一つは、「ことば」を使えるということかもしれません。
「ことばなる神様」の子どもだから、人間は「ことば」を使える。
皆さんは日頃、どんな「ことば」を発していますか?
もっと大事な質問は、皆さんは日頃どんな「ことば」を聞いているでしょうか?
なぜなら、聞くことばに影響されて、私たちはことばを選び、語るということを経験しているからです。
◯みことばを聞く
そこで、今週のみことばでは、「私は、あなたのことばを守ると申しました。」と書かれています。「あなたのことば」とは、聖書のことばであり、祈りの中で示される神様からのメッセージでもあります。
家族の関係が気薄になっていく社会。親との会話が少なくなっていく社会。
そんな社会ってとても寂しく、悲しい社会だと、私は思います。
同じ問題を人間は抱えていないでしょうか?
親である神様との会話が失われてしまってはいないでしょうか?
祈りとは神様との会話を意味します。祈りとは堅苦しい儀式ではなく、ご人格を持たれた神様との対話です。神様が人間の思いを聞いてくださり、また私たちも神様の思いを知ることができる貴重な方法なのです。
神様への祈りから始めたいなと思います。私たちの存在を造ってくださった方との会話(祈り)を始めることで、私たちの存在の意味や、生きる意味が教えられます。
聞いたことばを守るとは、そのことばを大切にすることなのかなと思います。
今日読んだみことばを大切に守れますように、祈りつつ。